門閥の雄 概要 朝倉孝景英林 朝倉英林壁書 所見
■ 門閥の雄
朝倉一系一族 悠久の七百年。
朝倉氏 朝蔵氏 浅倉氏 浅蔵氏 安桜称 浅井氏
稲葉氏 上杉氏 大嶋氏 斎藤氏 武田氏 長井氏
あの、激動の戦国期に、一武将が多機能な未来都市を建設、庶民文化と、政治経済の発信地として一乗谷を築いた目的は。 遺記孝景条々から、封建社会真っ直中に朝倉の萬世一系合理主義がどの様に理解されどの様な影響を与えたものだろうか。 この時代、これ程までに人倫を重んじた理由はやはり一族の永久の繁栄を願った英林独自の改革の一策ではなかったか。
今世においても同様、人倫を重んじなければ良い人材は育たない。また、良い人材が集まらなければその集団の将来はない。 その起発を作るのは言うまで もなく主であるが、その主自体の資質、人格が今問題なのである。
(参考典籍、福井県史、岐阜県史、日本史大典中世法制史、古語大辞典、新釈漢文大系、日本国語大典、漢和大辞典)
■ 概要
朝倉一族の起源は平安時代、但馬国養父朝倉から生じている、 後に越前に国替えし南北朝時代から足利方の名門で畿内近国における室町幕府体制の重鎮であった。 しかし、一向一揆、姉川の戦い、刀禰坂の激戦と続き、致命となる主と都をなくし、 あの天下分け目の関ヶ原の合戦(1600)を待たずして、政経に影響力をなくしていった。
その後、多くの旧臣たちにより復興を願い軍記、史籍などが綴られ、一族の結束と存続をはかってきたが、 江戸幕府においては殆ど名声を聞く事なく、明治、大正と過ぎ去り、昭和も四十四年になり四百余年の永い眠りから 一乗谷市街は地中から全貌の輪郭をさらし目覚める事になる。
(朝倉始末記、朝倉家録、朝倉越州記、加賀一向一揆、賀越闘諍記、越州軍記、孝景条々、朝倉宗滴話記わき、朝倉記などが多く武家の教典となっていた)